桜相の君主「爻範」とは?
こんにちは、なぎりーです。
私の住む地域では最近寒さが落ち着いてきた気がします。
気づけばもう2月も半ば、春ももうすぐそこですね。
春といえば桜、桜といえば桜相。
導入がめちゃくちゃですが、今回も桜相を解説していきましょう。
さて、今回は前回と続いて夜景の解説を行おうとも思ったのですが、今回は「桜相の君主」として憲法で定められている
爻範(こうはん)について述べていきます。
桜相の爻範、それは国民の象徴であり、桜相の国体を表すものです。
爻範は、日本で言う天皇でありますが、その仕組みは少し天皇と異なります。桜相国において爻範は「範務権」と呼ばれ、統治に関する権力を有します。
そもそも桜相国は4権分立制をとっています。
執政(行政)、司法、立法、範務。
範務と言うものは他の3権からの縛りを強く受けているため、普段は発動するわけでありません。
象徴的なものであると言う説もありますが、実際に発動された例もあります(1975年軍事クーデター未遂事件)
そんな爻範ですが、現在の爻範は「礼繕(れいせん)」です。167代目になります。
爻範は紫暮地方の四宮京に存在する「範居」に居住しています。四宮が「京」と呼ばれるのは、伝統的、礼節的に権力者の都を「京」と呼ぶことに由来します。
行政上の首都は彩丘ですが、伝統的な首都は四宮というわけです。
爻範の歴史は古く、源流となる王朝は紀元前7世紀に遠江地方に存在したようです。
現在まで、最低でも2700年続く王朝ということになり、桜相が存在する世界では最古の王朝です。
紀元前1世紀ごろより始まった各王朝の覇権争いにおいて、四海矢朝として勢力を拡大し、215年に北部の2大勢力の1つであった本渡朝の制圧を行いました。
さらに南下した本渡朝は、100年かけて各勢力を平定し、330年に段廊爻範が政権の長として初の爻範に即位し、国号を「城耶(しょうや)」に改めました。この頃から「爻範」の名称がついたとされています。
爻範の由来は「爻国(多くの国が交わった国家の連合体)を範する(統治する)者」ということから。
爻範のあり方はこの後中世において大きくあり方が変わってしまうことになりますが....
本日はここまでです。
なかなか長くなり過ぎてしまいますが、できるだけ読みやすい記事を心がけているつもりなので分割したいと思います。。
では。
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